伝説4 神仏・聖者の事業

入鹿いるか明神みょうじん社のいわれ(沖美町)
 是長これながの海岸景勝の地に、入鹿明神社があります。『能美島志』では、「社後峻巌しゅんがん千尺、古松森々タリ、社前、細石玉ヲ布クガごとシ、碧海渺茫びょうぼうタリ」と、その景観をたたえています。御祭神は海の神様(上津綿津見神ほか二柱)で、嘉慶かきょう元年(一三八七)藤右馬守とうのうめのかみ忠正が創建したといわれています。この神社のいわれを、『能美島志』は次のように えています。
「一匹の鹿がさかきの枝をくわえて、厳島から波濤はとうをわたってこの地へ来た。里人がこれを見て、やしろを建て厳島明神をまつった。本尊は一寸八分(五・五センチ)の金仏観音像である。ある 、小児が神殿から御神体を出して水中に入れたところ、たちまち歩けなくなり死んだ。また、この の石を取ることは堅く禁じられており、もし石を取る者があれば神罰 がたちどころにくだる。」
 また、『能美島社寺古跡覚書帳』には、「入鹿 明神は本地大日如来である。むかし善久という狩人がこの地で鹿 を射て家に帰ったところ、平素尊信していた大日如来像に鹿を射た矢が当っていた。善久 はそれ以後殺生をやめたが、ある夜不思議な夢を見た。老翁 が現れて善久に、『この沖の海上を見よ。鹿が頭に榊葉をいただき幣帛へいはくをつけてこの地に上がる。これは筑前(福岡県北西部)の入鹿大明神の分身なり』と告げた。善久が夢から覚めて見ると、鹿が陸に上がり身震 いして立っていた。時は嘉慶元年九月十三日卯の であった。またこの時天上からも天女が降りて来て鹿に乗り、 に白木の弓を横たえ手に矢を取り、『ここに社を建て入鹿明神をあがむべし。われは本地大日如来なり』と げた。」と記されています。
 さらにまた、佐伯郡 の『国郡志下調郡辻書出帳』には、「六月十七日の夜、入鹿神社の海上 に昔からクハゲンと呼ぶ厳島神社の管絃船のような船火が見え、人の声やの音が聞こえる」ということが記されています。
(『沖美町の文化財をたずねて』)
 入鹿明神社