是長の海岸景勝の地に、入鹿明神社があります。『能美島志』では、「社後峻巌千尺、古松森々タリ、社前、細石玉ヲ布クガ若シ、碧海渺茫タリ」と、その景観を讃えています。御祭神は海の神様(上津綿津見神ほか二柱)で、嘉慶元年(一三八七)藤右馬守忠正が創建したといわれています。この神社のいわれを、『能美島志』は次のように伝えています。
「一匹の鹿が榊の枝をくわえて、厳島から波濤をわたってこの地へ来た。里人がこれを見て、社を建て厳島明神を祀った。本尊は一寸八分(五・五センチ)の金仏観音像である。ある時、小児が神殿から御神体を出して水中に入れたところ、たちまち歩けなくなり死んだ。また、この浜の石を取ることは堅く禁じられており、もし石を取る者があれば神罰がたちどころにくだる。」
また、『能美島社寺古跡覚書帳』には、「入鹿明神は本地大日如来である。むかし善久という狩人がこの地で鹿を射て家に帰ったところ、平素尊信していた大日如来像に鹿を射た矢が当っていた。善久はそれ以後殺生をやめたが、ある夜不思議な夢を見た。老翁が現れて善久に、『この沖の海上を見よ。鹿が頭に榊葉をいただき幣帛をつけてこの地に上がる。これは筑前(福岡県北西部)の入鹿大明神の分身なり』と告げた。善久が夢から覚めて見ると、鹿が陸に上がり身震いして立っていた。時は嘉慶元年九月十三日卯の刻であった。またこの時天上からも天女が降りて来て鹿に乗り、肩に白木の弓を横たえ手に矢を取り、『ここに社を建て入鹿明神を崇むべし。われは本地大日如来なり』と告げた。」と記されています。
さらにまた、佐伯郡の『国郡志下調郡辻書出帳』には、「六月十七日の夜、入鹿神社の海上に昔からクハゲンと呼ぶ厳島神社の管絃船のような船火が見え、人の声や櫓の音が聞こえる」ということが記されています。
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