王泊の対岸、音戸町藤乃脇の波止場のほとりに、「若宮さん」と呼ばれる祠が祀られています。その傍らの石碑に、次のような由来が記されています。
「文治元年(一一八五)源平の戦いの折、平氏は幼少の安徳天皇(当時八歳)を奉じ屋島から壇ノ浦へ下る途中、この地(藤乃脇)の対岸、能美島王泊の松島に行在所が設けられた。この時、旅の疲れを慰めるためにと、藤乃脇に御来遊されたと伝えられている。後、天保十三年(一八四二)住民は、悲運の天皇を偲び石塔を建立する。平成四年二月吉日」
私(山野菊夫氏)が十五歳の頃の王泊にはまだ松林が残っており、海岸には葦や茅がたくさん生えていました。「若宮さん」の碑文を読んで、私は子どものころに父から聞かされた話を思い出しました。
「われは、よう聞いとけよ。この王泊はのう、昔、安徳天皇が泊まらっしゃったんじゃ。平家が屋島で源氏に負けてのう、壇ノ浦へ落ち延びる途中、音戸の瀬戸を通ってこの王泊へ入りんさった。王が来んさったけえ『王泊』いう名がついたんじゃ。そいで、『大君』いう地名もついたんじゃ。すぐそこの流田(地名)の山ん中には毘沙門堂があってノ、毘沙門さんを祀っとる。これも粗末にはできんのじゃわいや」
また、音戸町の角戸松男氏からお借りした「藤乃脇の『若宮さん』」と題する資料には、次のような記述がありました。
「(略)一族共々音戸の瀬戸を通り、能美島(現在の大柿町大君)の入江に仮泊するに至った。亡き祖父、また夫の偉業を偲んでわざわざ寄り道をしたのかもしれないが、宮島は平家一門にとっては特に縁浅からずである。その入江に仮の行在所を設け、数日滞在した模様である。福原の御所恋しさに丘に登り、東方を見つめて涙した所が、後世『大君』と名づけられ、地名になったのかもしれない。
そして、寸時の遊楽に小舟にて遊び訪れたのが、藤乃脇の『若宮さん』の社のある岬(対岸の大柿町王泊から約一キロ=編者注)であったのだろう。(略)幼帝が王泊に行在所を設けられた時、かしづいていた女官が使用していたと伝えられる井戸が早瀬のお宮の付近にあって、『美女の水』と呼ばれているそうである。」 |