大附は、古くは「王着」の字を当てていました。柿浦の末友家の文書に、「承久元年(一二一九)王着浦に海賊軍勢押し寄せ農作物、舟、略奪に遭う」という訴状があり、「王着」と記されています。その由来は、大昔、大王様がお着きになり、ここに住み着かれたので、「王着」という有難い地名が残ったというのです。「大王様」は神功皇后の伝説に結び付くのではないかとも言われていますが、はっきりしたことはわかりません。
江戸時代のこと、名主・佐々木半兵衛が郡奉行所に出向いた時、小役人から「オーチャクの半兵衛」と呼ばれ、大勢の人々の前で赤恥をかかされたことがありました。その場は引き下がったものの腹の虫が治まらず、とうとう「大附」に字を替えたそうな、という話が伝えられています。 |