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将軍社(天大将軍社)の由来(能美町)
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今から三百年も、それ以上も前のことじゃったと聞いていますが、そのころ鹿川村に棟助というお百姓さんがおったそうです。この人が自分の田へ水をアテル(引く)ために、田の隅に井戸を掘っておったところが、武将の姿をした人形が泥まみれになって出て来よった。それで、小川で洗って泥を落として見たら、なんだかこう気品のあるお人形さんに見えたんじゃそうです。それで、家へ持って帰って床の間に据えて置いた(一説では、子どもの玩具にちょうど良いと思って家へ持って帰った)。
ところが、その人形が夜な夜な棟助の夢枕に立って、「我は天大将軍なる者である。この里に社を建てて祀ってもらいたい。我を祀るならば、この里に、年に三度以上の火事は起こさない」と言うんじゃそうです。
有難いことだと思って棟助は、村役人に一部始終を話して、その人形を見せたそうです。そうしたら、人形をしげしげと見ていた役人の一人が、
「こりゃあ武甕槌神じゃ。土の中におられたとは恐れ多いことじゃ」と言うた。
「そんなに尊い神様じゃったんか」
と皆は驚いて、さっそく社を建てて「天大将軍社」と名付けて祀ったんじゃそうです。
その後鹿川村には大火事が起きなかった。また、棟助の掘った井戸は、どんな大旱魃の時でも水が涸れることがなかったと伝えられています。
この将軍社はのちに武士の神様ともされて、武士が参拝に来ていたという話もあります。 |
| (能美町青年団・鹿川隣保館若者会編『郷土の歴史』) |
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| 将軍社(天大将軍社) |
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明治初年、神社小社寺の統合整理の時、県の指示により、村社は村名に改称されることになり、鹿川神社と改称された。しかし、この名称は村民になじまなかった。そして、昭和に入ってから、社殿・相殿・拝殿を新改築した時、なじみ深い「将軍社」(鹿川天大将軍社)に改称され
た。 |
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