伝説 22 祠堂しどうの由来

将軍社(天大てんだい将軍しょうぐんしゃ)の由来(能美町)
 今から三百年も、それ以上も前のことじゃったと聞いていますが、そのころ鹿川かのかわ村に棟助というお百姓 さんがおったそうです。この人が自分の へ水をアテル(引く)ために、 の隅に井戸を掘っておったところが、武将の姿をした人形が泥まみれになって出て来よった。それで、小川 で洗って泥を落として見たら、なんだかこう気品 のあるお人形さんに見えたんじゃそうです。それで、家へ持って帰って の間に えて置いた(一説では、子どもの玩具おもちゃにちょうど良いと思って家へ持って帰った)
 ところが、その人形 が夜な夜な棟助の夢枕に立って、「我は天大将軍なる者である。この里にやしろを建ててまつってもらいたい。 を祀るならば、この里に、年に三度以上の火事 は起こさない」と言うんじゃそうです。
 有難 いことだと思って棟助は、村役人に一部始終を話して、その人形を見せたそうです。そうしたら、人形 をしげしげと見ていた役人の一人が、
「こりゃあ武甕槌たけみかづち神じゃ。土の中におられたとは恐れ多いことじゃ」と言うた。
「そんなに尊い神様 じゃったんか」
 と皆は驚いて、さっそく社を てて「天大将軍社」と名付けて祀ったんじゃそうです
 その後鹿川村には大火事 が起きなかった。また、棟助の掘った井戸は、どんな大旱魃かんばつの時でも水がれることがなかったと えられています。
 この将軍社はのちに武士 の神様ともされて、武士が参拝に来ていたという話もあります
(能美町青年団・鹿川隣保館若者会編『郷土の歴史』)
将軍社(天大将軍社)

明治初年、神社小社寺の統合整理の時、県の指示により、村社は村名に改称されることになり、鹿川神社と改称された。しかし、この名称 は村民になじまなかった。そして、昭和に入ってから、社殿・相殿・拝殿を新改築した時、なじみ い「将軍社」(鹿川天大将軍社)に改称され