中村にゃあ、麓(地名)に麓城、長石(地名)に堀城と、城が二つあった。それから、小まぁお宮がヨウケエ(たくさん)あったんでえ。麓の前田いう家の朝日神社とか、胡子潟にゃあ胡子神社とか、どこにあったもんか荒神社やらのう。
ある時、こういうお宮を一つにまとめようということになった。ところが、まとめたお宮をどこへ建てようかいう段になって、麓城と堀城が、「わしんとこへ建てろ、」「いや、わしんとこじゃ」いうて争いはじめて、とうとう戦になってのう、ほいで堀城が勝ったんで、宮はそこに建てられた。
麓城は負けて悔しがったが、どうにもならん。城山の上に墓を造って、戦で死んだ人たちを葬った。墓は大小一〇基ばかりじゃが、今でもあるよ。それからいうもんは、夜中にこの城山を三遍回るとノ、恨みが残っとるんか、刃と刃の触れ合う音がする言うで。
この小まぁお宮を一つにした時のことじゃが、宮山(地名)にあったお宮は八幡神社だから外したんよ。ほいで中村にゃあ、八幡神社と堀城の宮と、神社が二つになった。それでこんどは、どちらを一ノ宮にするかいう話が持ち上がった。この時もまた二つのお宮が、「わしの方じゃ」いうて喧嘩を始めたんじゃが、八幡さんは宇佐八幡宮の力を借りて、堀城のお宮に勝った。それで、宮山の八幡さんが一ノ宮に、負けた方の堀城のお宮が二ノ宮になったんよ。今、中村の二ノ宮いうのは、堀城の宮のことよ。 |