伝説 25 祠堂しどうの由来

八幡神社が一ノ になったわけ(能美町)
 中村にゃあ、ふもと(地名)に麓城、長石(地名)に堀城と、城が二つあった。それから、まぁお宮がヨウケエ(たくさん)あったんでえ。麓の前田いう家の朝日神社とか、胡子潟えびすがたにゃあ胡子神社とか、どこにあったもんか荒神こうじん社やらのう。
 ある 、こういうお宮を一つにまとめようということになった。ところが、まとめたお宮をどこへ建てようかいう段になって、麓城と堀城 が、「わしんとこへ建てろ、」「いや、わしんとこじゃ」いうて争いはじめて、とうとういくさになってのう、ほいで堀城が勝ったんで、宮はそこに建てられた
 麓城は けて悔しがったが、どうにもならん。城山の上に墓を造って、戦で死んだ人たちを った。墓は大小一〇基ばかりじゃが、今でもあるよ。それからいうもんは、夜中にこの城山を三べん回るとノ、恨みが残っとるんか、やいばと刃の触れ合う音がする言うで
 この小まぁお を一つにした時のことじゃが、宮山(地名)にあったお宮は八幡神社だから したんよ。ほいで中村にゃあ、八幡神社と堀城の宮と、神社が二つになった。それでこんどは、どちらを一ノ宮 にするかいう話が持ち上がった。この時もまた二つのお宮が、「わしの じゃ」いうて喧嘩けんかを始めたんじゃが、八幡さんは宇佐八幡宮の力を借りて、堀城のお宮に勝った。それで、宮山 の八幡さんが一ノ宮に、 けた方の堀城のお宮が二ノ宮になったんよ。今、中村の二ノ宮いうのは、堀城の宮のことよ
(話者 竹川九一)