歴史物語1

宮八幡神社の「力石」(大柿町)
 天保のころ(江戸時代)、旧飛渡瀬ひとのせ村にとても力の強い人がいたそうです。この力持ちがどんなに強かったかを後世 に伝えるためにはどうしたらよいか、村人たちが集まって相談しました。その結果、三角 の形をした、抱え上げるのにちょうどよい大きな石がありましたので、それに「 石」と彫り込んで、新宮八幡神社の一の鳥居 から本殿まで一人で負い上げてもらおう、ということになったのだそうです。
 いよいよその がきて、村人たちは大勢で「力石」を一の鳥居まで運びました。力持ちはみんなの声援 に励まされながら、やがて石を背負って立ち上がり、一段、二段……と石段 を登り始めました。ところが、どうしたことか二〇段ほど登ったところで座り込んでしまったのです。人々は力の限り声援 を送りました。力持ちも何とか立ち上がろうとしました。しかし、二度 と立ち上がることはできませんでした。飛渡瀬村 の人たちは、「きょうは身体の具合が良くなかったのだろう」と力持ちをいたわって、後日 改めてまた負い上げてもらうことにしましたが、自信を失った力持ちは、それっきり い上げることを断念してしまったのだそうです。
 村の代表 が、そのことを新宮八幡神社の宮司さんに話しました。すると宮司さんは、「大原の 根蔵なら負い上げることができるだろう。曽根蔵に相談してみてはどう
 と言 れたそうです。さっそく曽根蔵を訪ねて頼んでみましたが、曽根蔵は、「せっ くここまで事を運ばれたのではありますが、急ぐことはないので、よく考えさせてください」と言って、受 ようとはしませんでした。
 それから ばらくして、宮司さんといっしょに村の代表がもう一度曽根蔵を訪ねて、「力石 あのまま放置して置くわけにはいきませんので、ぜひあなたの力で負い上げていただきたい」と みましたら、
 「それほど われるのでしたら、お引き受けいたしましょう」
 と、こんどは快く承諾 してくれました。
その時、曽根蔵 はすでに六十歳になっていました。それでも力石を背負って、最後まで石段 を登り切り、本殿の下に築かれた土台に据え付けることができたのだそう す。
 その当時、力石 には真ん中に「力石」とだけしか刻んでありませんでしたが、その後、誰かがその右側に「天保 年(一六四六)辰十月二十三日」、左側に「原田曽根蔵」と彫り付けて、曽根蔵 の名を後世に伝えたということです。その力石は現在も新宮八幡 神社の本殿の下に据えられています。
(話者 原田松男)
八幡神社の「力石」