私の子どものころには、「小用には神社がない」と、他の町の者からバカにされていました。しかし私の父親は、「いや、小用にも神社はあったんじゃ」と、よく話してくれていました。旧三部地区の、宇根岡氏の屋敷の土地で現在の幸神社がある所に、元は荒神社があったというのです。そこで、いろいろな文献を調べてみました。
文政七年(一八二四)のころ、荒神社の社殿があった所は海岸に近い森で、すぐ下は海だったようです。宇根の先祖が小用を開拓した延宝七年(一六七九)から約百四十年たったころのことで、当時の戸数は二〇〜三〇戸、人口は一二〇〜一六〇人ぐらいだったろうと想像されています。御祭神は宇迦之命と称せられる食物・稲をつかさどる神様です。この地域の広い共同体の鎮守神としては八幡神社(内神)がありますが、それとは別に小さい集落や同族の神として、荒神社(外神)が祀られていたようです。毎年三日間の大祭が行われていたということも伝えられています。しかし、この荒神社の祭りも明治の初めごろまでのことで、明治政府の一村一社制による小社合祀令で小用の荒神社は廃社となり、御神体は八幡宮(神社)に移され、合祀されました。
平成五年(一九九三)二月、旧荒神社再建委員会が設立され、幸神社と名称を変えて、その年の秋に元の場所に再建されました(事業費・一〇九〇万円)。
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