歴史物語4

おんたけで横笛を作った話(能美町)
 能美町鹿川かのかわは、江戸時代には東能美島鹿川村でした。この村の大矢に、藤浦山という小さな があります。この山には昔から矢竹が生えていました。節と節の間が長く、根元 から先までの太さがほぼ同じで、しかも節の所が細いので、矢を作るのに適しています。この竹をたけと呼んでいました。
 享保二年(一七一七)、第五代広島藩主 ・吉長の時、藩がこの矢篦竹に目を付け、「とめやま」に指定して、毎年質の良い矢篦竹を納めるように命じました。御留山というのは木や竹の伐採 を禁止された山で、村人たちには、燃料や肥料にする落ち葉 下草の刈り取りしか許されませんでした。村人には大変迷惑な命令でしたが、もしおきてを破ったら厳しい罰を受けることになります。
 ある年の晩秋 、竹を切るのに最も適した十一月のことでした。山守が藤浦山の見回りに来て、矢篦竹が二〇 本ばかり盗まれていることに気が付きました。さあ大変です。村にとっては一大事 でした。山守をはじめ村役人や村の責任者総出で尋ね回ったところ、八幡神社 の祭礼当番に当っていた村(当番村)の若者たちが、祭礼に使う横笛 を作るために切ったことがわかりました。村役人たちは藩の奉行所へ出頭して、事の次第 を恐る恐る申し上げ、平身低頭してお許しをいました。お奉行は をつぶって話を聞いていましたが、
若者 たちが盗んだのは、八幡神社の祭礼のためであって、私利私欲からではないことがわかった。盗んだのはよいとは言えぬが、処罰 するほどのことではない」
 と、 してくれたのだそうです。その上、
「八幡神社の祭礼 が盛大に行なわれるのは大変喜ばしいことだ。祭りを助ける意味で、今後毎年 、当番村へ御矢篦竹二〇本を下げ渡す。良い笛を作れよ」
 と、有難いおぼめしまで賜ったのでした。村役人たちは涙を流して喜びました。
 御矢篦竹 で作った横笛によって、八幡神社の祭礼はその後一段と盛大になったと えられています。

(話者 原 正宣)

原正宣氏は前八幡神社宮司で、平成3年に亡くなった。