享保年間、鹿川村の農民で八幡神社の氏子だった義八の先祖が、一の鳥居の参道の右側にあった土地約一町歩(約一ヘクタール)を社領に寄進したのだそうです。神社では大変喜んで、その褒美として、秋祭りの御神楽始めを代々担当することを許しました。御神楽始めというのは、秋祭りの開始を宣言する神楽で、これを担当するのは氏子にとって大変名誉なことでした。
鹿川の義八の子孫(のちには、鹿川の氏子)が、毎年秋祭りの前夜(宵祭り)に神社に参って、御神楽始めを行ないます。それが終ると、祭礼を取り仕切る当番村の氏子が神楽を打って祭りを始めます。当番村といえども、鹿川より先に神楽を打つことはできません。たとえ鹿川の神楽始めが遅れた場合でも、その到着をいつまででも待たねばなりません。それで、「鹿川が来なけりゃ、祭りが始まらん」と言われるようになりました。この慣習は今日もなお続けられています。
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