日にちをはっきり覚えていないのですが、昭和四十六年(一九七一)十月のことです。朝四時ごろでした。なんとも不思議で、夢とも思われん夢を見たんです。わしは跳び起きて、隣に寝ていた女房に、 「真道の地蔵さんは、今どうなっちょるんなぁ? 今夢の中に出んさって、『濡れる、濡れる』言うちゃったんじゃ。どうなっちょるんかのう」 と言うたんです。女房はさいさい地蔵さんの近所の方へ行きよったけえ、尋ねてみたんですよ。そうしたら女房は、
「お花は誰かが立てておるでぇ」 と言いました。 あくる日会社へ出勤してからも、なんとも気持ちが悪いので、同僚に相談がてら、その話をしたんです。そうしたら、 「その地蔵さんは、誰がそこへ建てられたんですか」 ときかれたので、私は建立したころの話をしました。建立したのは私の伯父の小尻和作で、昭和十一年(一九三六)四月のことです。山木の石屋さんと私が代わる代わる地蔵さんを背負って、真道山の山頂に近い今の所に負い上げました。その私の夢枕に立って、「濡れる、濡れる」言われたわけですよ。 「そのお地蔵さんには、雨覆いがしてあるんですか」 「そがいな雨覆いなんぞはしとらん」
「それで、『濡れる、濡れる』いうて、あんたに告げられたんでしょう。何か雨覆いをせにゃあいけん」 同僚はそう言うてくれました。 その晩、小尻の伯父のところへ行って、その話をしたんです。そうしたら、 「日本中の地蔵さんが、ほとんど皆雨ざらしでぇ。石で造っちょるんじゃけえ、濡れても大丈夫じゃろうが。今まで通りでエエ(よい)思う」 と伯父は言うんです。次の日、会社の同僚に伯父の話をしたら、
「あんたにお告げがあったことですから、放っといたら、エエこたぁないですよ」 と言います。それで、もう一度伯父に、 「わしがやりますけえ、雨覆いをさせてください」 いうて頼んだら、 「うちで建立したんじゃけえ、うちでやろう」
言うてくれました。そうして、四方に柱を立てて、トタン屋根の雨覆いを造りました。
そのあくる年のことです。昭和四十八(一九七三)年三月、小学校の卒業式の日に、真道山に山火事があって、中腹から頂上にかけてほとんどが焼けたんです。
――この火事で、お地蔵さんも真っ黒に焼けんさったんでは…?
と心配して、火が鎮まってから上がって見ました。すると、なんと不思議なことで、あの大火事で草も木も焼け、岩も黒焦げになっているのに、雨覆いの柱まであと数センチの所で、火が止まっていたんです。コッパ(枯れ葉)が二〇センチも積もって焼けやすくなっていたのに、お地蔵さんは無事でした。思わず私は手を合わせましたよ。何か温かい、有難い気持ちで山を下りました。
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