世間話10 妖怪の奇異

海の幽霊としゃく(柄杓)(1)(大柿町)
 むかし、 はずれの小さな家に、一人暮らしの老人が住んでいました。十兵衛という名で、女房 に先立たれ、子どももおらず、気が向いたら海へ魚釣りに行くのが、ただ一つの しみでした。
 ある日のこと、十兵衛さんは良い天気に誘われて舟を準備し、ギーコギーコとを漕いで沖に出ました。漁場に着いて早速 釣糸を下ろすと、すぐに手応えがあり、引き上げてみると、立派 なメバルが釣れていました。大喜びの十兵衛さんが次に釣糸を下ろすと、またすぐに手応 えがあり、こんどは大きなキスが釣れていました。さあ大変、次から次へと釣れる上物 の魚に夢中になった十兵衛さんは、太陽が西に沈み、 を付けるのがむずかしくなって、ようやく日が暮れたことに気がつきまし
――さて、これは ったことになった。
 帰るのには遠いし、浅瀬 は多いし、暗がりでは危ないので、十兵衛さんは今夜は帰らずに、 に寝ることにしました。そして昼間の疲れで、いつの間にかぐっすり寝込 んでしまいました。
 真夜中ごろだったでしょうか、「十兵衛 よ、十兵衛!」と呼ぶ声が聞こえまし
十兵衛 さんは、
――こんな で、わしを呼ぶなんて…?
 と思いながら、うつらうつらとしていました。すると今度 はハッキリした声で、
十兵衛 ッ!」
 と びました。
「誰だッ、わしを ぶのはッ!」
 と大きな声で怒鳴りました。すると、ともの方でゴソゴソ音がします。見れば、着物はボロボロで、長い を肩の下まで垂らし、大きな目をキラキラ光らせた者が舟に乗り込もうとしています。そして っ赤な口を開けて、大きな声で、
十兵衛 、杓ッ! 杓を貸せッ!」
 と言いました。その恐ろしい形相に、十兵衛さんは口もきけず、 えながら杓を取って渡しました。すると妖怪 はその杓で、「一杯」と言いながら海水を汲んで舟の中へ入れました。そしてさらに、「 杯、三杯……」と言いながら海水を入れ続けるのです。ビックリした十兵衛 さんは、舟底板をつかんで妖怪めがけて殴りかかりました。妖怪 と十兵衛さんとの闘いがしばらく続きましたが、そのうちに妖怪はどこへともなく消え去って行きました。 が少し明るくなっていました。
 ちょうどその時、 早く漁場へ向かっていた二人の漁師さんが、十兵衛さんの舟を見つけました。二人は いで舟に近づきました。見ると舟の中は水びたしで、十兵衛さんは命からがらともにつかまって海に浮いていました。引っ張り上げて見ると、十兵衛さんの顔は傷だらけで、あごは壊れ、右手の指は曲がったまま、右足の足首から先は外側 に向いていて、まともには歩けない状態でした。
  いて事情を聞くと、十兵衛さんは一部始終を二人に語ってくれました。そして、つくづくとこう言ったそうです。 が良い時には用心して、早く切り上げて帰ること、妖怪が「 を貸せ」と言ったら素早く杓の底を抜いて貸すこと、そして、妖怪がどんなことをしても絶対 に逆らわないこと。
 その後、十兵衛 さんは好きな魚釣りも出来なくなり、自分が体験した三つの教訓を、 をする人たちに会うたびに話して聞かせたということです。
(話者 中本浅夫)