迫之浦(大君の南)の奥から、さらに山の奥へ登った所に匿宮山がありますが、お籠岩はその中腹にある大きな岩です。中が刳り貫かれたようになっていて、安徳天皇の行在所だったと伝えられています。陀峯山の頂上まで林道が出来たので、今では車で、天狗岩を通ってお籠岩の近くまで行くことができますが、昔は、狭い急な山道を歩いて登ったものでした。私らが子どものころは、丈の内には、はっきりわかる水田の跡があって、「こんな高い山奥に水田を作るとは、昔の人は精を出して、ヨウ(よく)ガンバッタものよのう」と感心したものでした。 江戸時代の話です。大君に三郎右衛門というお百姓さんがおりました。山や谷をいくつも越えて、丈の内へ田を作りに行っておったそうです。ある日のこと、米を研いで釜に入れ、炊き上がってから、いざ食べようと蓋を取って見たら、なんと飯が無いんだそうです。
――おかしいのう、狐にだまされたんだろうか。
と思いながら、また気を取り直して米を研ぎ、飯を炊いて、さあ食べようと蓋を取ったら、また飯が無い。誰かが食べてしまっていました。三度目も同じように、いつの間にか先に食べられてしまって、とうとう七回も飯を炊いたのに、ついに食べることができなかったんだそうです。
――こりゃあ狐やなんかじゃあるまい。 と思った途端に、突然背筋が寒くなって、髪の毛が逆立ちました。三郎右衛門は一目散に山道を走って里へ帰って来ました。里の灯が見える「よしがいち川」(現在の大君川)を渡ると、さすがの妖怪もあきらめたのか、 「炊くも炊いたり、食うも食うたり、七鍋ながら口惜しや」 と怒鳴って、山へ帰って行ったそうです。
息も絶え絶えになって我が家にたどり着いた三郎右衛門は、パッタリと地べたに倒れて、そのまま息を引き取ってしまったということです。
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