昭和の初めごろのことよのう。わしが大イリノ(俗称インノ)の山の畑へ行った時のことよ。前に谷があって、小川がある、その向こう側に、ヒョッと見ると狐がおるじゃないか。口が尖んがって、髭をピンと張って、ちょうどお稲荷さんの前に巻き物をくわえて座っとる、あれとそっくりよ、毛がきれいでのう。
――コンナァ(こいつを)捕まえちゃろう。 思うて、わしが小川を渡って行ったら、狐は羊歯の中へ逃げ込んでしもうた。羊歯を潜って探してみたが、狐はおらず、狐の穴も見つからんかった。ほいじゃけえ、秋月の山には昭和の初めごろまで、ホンマに狐がおったんでえ。わしよりほかにも、昭和になって狐を見たり鳴き声を聞いたりした者が、ヨウケ(たくさん)おるけえのう。
『ふるさと江田島―江田島の民話―』(角増渉編著。さつき出版・昭和五十二年(一九七七)刊)の「狐族の大移動」によると、海軍兵学校(現在の海上自衛隊第一術科学校)が江田島に来るまでは、その敷地にあったお鷹神社の境内近辺の森を根拠地として狐族の大親分がおったそうなが、兵学校の工事が始まったら、ダイナマイトで爆破するやら、鉄砲で撃たれて死ぬ狐も出るやらで、「コリャア(これは)ここにおっちゃあ危なア」いうんで、一族は吉浦へ渡ったいうことになっとる。明治十九年(一八八六)十月十八日の夜のことよ、大親分の命令で、一匹が美人に化け、もう一匹は木っ葉を小判に変えて、二匹で秋月の船主を騙くらかして船を支度させ、一族揃って吉浦へ渡ったいう話じゃが、その船に乗り遅れたボヤ助の狐もおったんじゃろうよのう。
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