これは私が十歳ごろに、父親の大儀熊太郎(明治八年(一八七五)七月二十日生まれ)から聞いた話です。 明治十年(一八七七)ごろには、高田村にも中村にも、狐や鹿なんかがギョウサン(たくさん)おった。わしがよく見た狐は、南向きの山に巣をこさえて、子どもを二、三匹生んどった。子犬にそっくりな可愛い子狐じゃったが、それを連れて親狐は、うちの山の畑のそばへよく来よった。わしも小マァころはよく見たもんじゃ。猟師もおらんし、狐を捕まえようとする者もおらん。狐にとっては安心して暮らしていける土地じゃったんじゃろうて。 ところがある年、「江田島に海軍が来る」いう話が広まったんじゃ。この話はホンマ(本当)じゃった。江田島に兵学校の施設が造られるようになって、高田村からも働きに行く人がおった。それで蒸気船がたびたび来るようになったよ。 明治二十一年(一八八八)、わしがまだ十二、三歳のころじゃったが、兵学校が出来て、黒い船が何杯(隻)も津久茂の瀬戸を出入りするようになった。それから間なしに、昼どきになると、正午の知らせじゃいうて、兵学校が大砲を撃つようになったんじゃ。
「ド―ン」と大きな音が江田島湾いっぱいに響くよのう。それまでそんな大きな音を聞いたことが無かったもんじゃけえ、村の人たちはビックリして、十二時近くなると、耳を手で履う人がギョウサンおりよった。そのうち誰が言いだしたのか、その音を「ドン」言うようになって、「ドン」が鳴ると、「ほら、ドンが鳴った。昼飯にしようや」いうてのう、田や畑で仕事をしよる者には、昼飯どきがわかって重宝したもんじゃ。 しかし、一番魂げたのは島の動物たちじゃったろうでぇ。とりわけ鉄砲や大砲の音が嫌いな狐や鹿にとっては大事件よ。「ドン」と鳴ると、外で遊んどったんが飛び跳ねて、一目散に巣へ逃げ込んどった。「ドン」は毎日あるんじゃけえ、生きた心地がせんかったじゃろう。
そうして明治二十五年(一八九二)ごろには、狐も鹿も一匹も姿を見せんようになった。
平和な能美の山を「ドン」に追われた動物たちは、大黒神島へ逃げて行ったいう話もあった。
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